「尊い」の意味は辞書に載っている?三省堂が2018年に与えた語釈と、原義とのズレ

触れそうで触れていない二つの手と、その間で光を受けるわずかな隙間

SNSを眺めていると、アニメの一場面や漫画の一コマに対して「尊い」という一語だけが投げられている光景に出くわします。褒めているらしいことは分かる。ただ、なぜ「好き」でも「最高」でもなく「尊い」なのかは、外から見ていると分かりません。この記事は、この語の辞書上の意味と、いま使われている意味のあいだにある距離をたどります。結論を先に言えば、この語は褒め言葉というより、対象との距離の取り方を表明するして使われているように見えます。

「尊い」の読み方は「とうとい」──読みと表記を先に整理する

意味の話に入る前に、読みと表記を片付けておきます。この語はどちらも揺れやすく、調べようとした時点でつまずくことがあるためです。

まず読みです。「尊い」には「とうとい」と「たっとい」の二つの読みあります。『デジタル大辞泉』は見出しを「とうとい【尊い/貴い】」として立て、「たっとい」のほうは「『たふとし』の音変化。やや古風な語」として「とうとい」と同義に扱っています。つまり現代語では「とうとい」が標準的な読みで、「たっとい」はやや古い言い方、という整理になります。オタク文脈で使われるときは、ほぼ例外なく「とうとい」と読まれています。

仮名で書くときの表記も揺れます。発音がのばし音になるため「とおとい」と書かれることがありますが、辞書の見出しは「とうとい」です。仮名で書く必要がある場面では「とうとい」に寄せておくのが無難だと思われます。もっとも、この語は仮名で書かれること自体が少なく、実際にはほぼ漢字一語で投げられています。

■ 漢字は「尊い」と「貴い」の二通りある

同じ「とうとい」でも、漢字は「尊い」と「貴い」の二通りが当てられます。どちらを書くかで意味合いが変わるため、この書き分けは後の「尊い」と「貴い」は、どこで分かれるのか)で詳しく見ます。先に結論だけ書いておくと、いま話題になっている用法で書かれるのは「尊い」のほうです。

お、語源そのものについては定説がありません。語源由来辞典は「高太シ」から、「タフト(貴太)」から、「タヘイタシ(勝甚)」からなど複数の説を並べたうえで、特定は難しいしています。古い語ほど語源は確定しにくく、この語も例外ではありません。

まず、使われ方を観察する

「尊い」の使われ方には、いくつか特徴があります。ひとつは、ほとんど一語で完結することです。「尊い」「尊……」「尊すぎる」。何がどう良かったのかという説明が、たいてい省かれます。通常、感想は「作画がいい」「声の演技がいい」のように理由に分解されますが、この語はそれを拒むように単独で置かれます。

もうひとつは、対象が場面であることが多い点です。キャラクター一人に向けられることもありますが、実際には「二人が並んで歩いているだけの数秒」「片方がもう片方の名前を呼んだところ」のような、関係が可視化された一瞬に対して投げられることが目立ちます。そう読むと、後述する語感の説明がつきやすくなります。

■ 訳しにくい語である

「尊い」を別の言葉に置き換えようとすると、どれも少しずつ外れます。「最高」は競争の語彙で、順位を含みます。「かわいい」は対象を下に置く含みがあります。「エモい」は感情が動いたという報告であって、対象の評価ではありません。「好き」は主体が自分になります。「尊い」は、そのどれとも重ならない場所に立っています。訳しにくいということは、既存の語では足りなかったから使われているいうことでもあります。

「尊い」「尊いです」「尊いな」は、それぞれ別の場面で出てくる

この語は活用のしかたによって、出てくる場面が少しずつ違うように見えます。断定はできませんが、観察できる範囲で整理しておきます。

「尊い」──言い切りの形です。感想欄やタイムラインに一語だけ置かれるときは、たいていこの形になります。誰かに向けて説明しているというより、声が漏れたような使われ方をすることが多いようです。「尊……」と語尾を落として書かれることもあり、これも言い切り形の変種と読めます。

「尊いです」──丁寧形です。相手がいる場面、たとえば作り手への感想、面識の浅い相手への返信、公開の場でのコメントなどで使われることが目立ちます。同じ内容でも、丁寧形にすると「感情の噴出」から「相手に向けた申告」に寄ります。作品の感想を送るときにこの形が選ばれやすいのは、そのためだと考えられます。

「尊いな」──終助詞「な」が付いた形です。独り言の色が強く、噛みしめている感じが出ます。「尊いなあ」と伸ばされることもあります。誰かに同意を求めているというより、自分の中の感覚を確認している言い方に見えます。

ほかに「尊すぎる」「尊みが深い」といった派生も使われます。いずれも共通しているのは、理由を説明しない点です。どの形で言っても、何がどう良かったのかは基本的に語られません。

「尊さ」という名詞形

形容詞から名詞になった「尊さ」も使われます。『デジタル大辞泉』は「とうとい」の派生形として「とうとさ(名)」挙げており、名詞化そのものは辞書に載っている正規の形です「たっとさ」も同様に挙げられています)。

ただし、辞書的な「尊さ」と、いま使われている「尊さ」は、指しているものが少し違うように見えます。辞書の側の「尊さ」は対象が備えている性質です。「命の尊さ」「平和の尊さ」のように、対象に属している価値を指します。一方、話題の用法での「尊さ」は「尊さが限界」「尊さで死ぬ」のように、受け手の側に起きているして扱われることが多い。前者は対象の属性、後者は自分の状態で、主語が入れ替わっています。

この入れ替わりは偶然ではなく、次の節で見る「主観の申告」という性質から素直に説明がつきます。

辞書の「尊い」は、神仏と酒に使われていた

古語辞典で「たふとし(尊し・貴し)」を引くと、語義は大きく二つに分かれます。ひとつは「けだかい。高貴だ。尊い」。もうひとつは「価値が高い。すぐれている。貴い」。ク活用の形容詞で、「たっとし」とも読まれた記述されています。

用例として挙げられているものが、少し意外です。一つ目の語義には『徒然草』第五十二段の「聞きしにも過ぎて、たふとくこそおはしけれ」。二つ目の語義には『万葉集』三四二番歌の「極まりてたふときものは酒にしあるらし」──この上なく尊いものは、どうやら酒であるらしい、という歌です。

つまり、この語は最初から神仏だけのものではありませんでした。千年以上前の時点で、酒に対して「尊い」と言った人がいて、それが歌として残り、辞書の用例になっている。現代の「推しが尊い」と『万葉集』の酒の歌を直接つなげるのは乱暴ですが、個人的な偏愛の対象に最上級の敬語彙を持ち出すという振る舞い自体は、この語の歴史の中でとくに新しくはないいうことは言えそうです。

「尊い」と「貴い」は、どこで分かれるのか

同じ「とうとい」でも、漢字は「尊い」と「貴い」の二通りがあります。この書き分けについて、毎日新聞の校閲部門が『明鏡国語辞典』第2版の記述を引いています。いわく、「尊い」は主観的な気持ちとして、「貴い」は客観的な性質としていう意味合いがある

実務上の目安としては、尊敬・尊重の意味なら「尊い」で、神仏・師・先祖、あるいは立派な行いや教え、犠牲などに使う。貴重・価値の意味なら「貴い」で、時間・真実・資料・経験・名誉などに使う、と整理されています。

表記 意味合い 主な対象
尊い 主観的な気持ち(尊敬・尊重) 神仏、師、先祖、行い、教え、犠牲
貴い 客観的な性質(貴重・価値) 時間、真実、資料、経験、名誉

使われているのは「尊」の側である

ここが、この語を理解するうえで見逃せない点だと思われます。オタク文脈で書かれるのは、ほぼ例外なく「尊い」です。「貴い」とは書かれない。書き分けの基準に照らせば、この用法は価値の申告ではなく、気持ちの申告だということになります。

「この作品は貴重だ」と言えば、それは対象の性質についての主張になり、同意しない人と衝突します。「尊い」と言うとき、話者は対象の格付けをしていません。自分の中で何かが起きたことだけを言っています。評価に見えて、評価ではないこの語がなぜ議論を呼ばずに広まったのかを考えるうえで、この非対称は無視できません。

辞書を編む人たちは、2018年にこの語を拾った

この用法は、辞書の側から無視されてきたわけではありません。三省堂が主催する「辞書を編む人が選ぶ 今年の新語」の2018年版で、「尊い」は4位に選出されています三省堂によるプレスリリースで確認できました。

そのとき選考委員が与えた語釈が、この記事のなかで最も重要な一文です。

「〔俗〕〔アイドル・キャラクターなどが〕とても美しくて、いとおしい(と思わせるようすだ)。」

読み流しそうになりますが、この語釈は非常に精密です。「美しくて、いとおしい」で終わらせず、括弧で「と思わせるようすだ」付け足している。つまり、これは対象が客観的に美しいという意味ではなく、見る者にそう思わせている状態だ、定義しているわけです。前節で見た「主観的な気持ち」という書き分けと、きれいに整合します。

ちなみに、この年のベスト10は「ばえる(映える)」「モヤる」「わかりみ」「尊い」「VTuber」「肉肉しい」「マイクロプラスチック」「寄せる」「スーパー台風」「ブラックアウト」でした。お「今年の新語」は、その年に広まった語を対象とするもので、その年に生まれた語に限定していません2018年に選ばれたことは、2018年に発生したことを意味しないという点は、押さえておく必要があります。

辞書の原義と、いまの用法はどこがズレているのか

ここまでで材料がそろったので、辞書に載っている意味と、いま使われている意味の距離を整理します。

『デジタル大辞泉』が「とうとい【尊い/貴い】」に与えている語義は三つです。「崇高で近寄りがたい。神聖である。また、高貴である」「きわめて価値が高い。非常に貴重である」「高徳である。ありがたい」『精選版 日本国語大辞典』もほぼ同じ範囲で、「高貴である。品位が高くすぐれている」「価値が高い。めでたく良い。立派である。貴重である」「効験があって重んずべきである。高徳である」と記述しています。

これに対して、三省堂「今年の新語」2018年の選考委員が与えた語釈は「〔俗〕〔アイドル・キャラクターなどが〕とても美しくて、いとおしい(と思わせるようすだ)。」でした。並べてみると、ズレは三点に分けられます。

観点 辞書の原義 いまの用法
誰の話か 対象が備えている性質 見る側に起きた状態
対象は何か 神仏・人格・命・時間など キャラクター、そして二人の場面
距離感 近寄りがたい/崇高 いとおしい/近さと敬いが同居する

一つ目は主語の移動です。原義では価値は対象の側にありますが、いまの用法では「と思わせるようすだ」と括弧書きされたとおり、受け手に起きたことの申告なっています。

二つ目は対象の範囲です。原義が想定していたのは神仏や人格や命でしたが、いまは架空の人物や、その二人のあいだの数秒に向けられます。ただしこれは断絶とまでは言えません。『万葉集』の時点で酒に対して「たふとし」と言った歌が残っており、個人的な偏愛の対象に最上級の語を持ち出す振る舞い自体は、この語の歴史のなかで新しくはないからです。

三つ目は距離感です。原義の「近寄りがたい」に対して、いまの用法には「いとおしい」が混ざります。ただ、後の節で見るように、いとおしいと思いながら近づかないいう態度は矛盾していません。むしろこの両立こそが、この語が選ばれる理由に見えます。

お、こうした意味の移動を「誤用」と呼ぶかどうかは立場が分かれます。ここでは判定しません。辞書が「〔俗〕」という注記を付けて採録しているという事実だけを書いておきます。

起源説はいくつもあるが、どれも同じ話に行き着く

「尊い」がいつ、どこからこの意味で使われ始めたのか。これについては、いくつもの起源説が出回っています。特定の集団を発生源とするもの、特定の年を起点とするもの。ただ、それらを並べて読むと、どれも同じ一つの話を横に流している構図見えます。

起源説の末尾に置かれているのは、たいてい別のまとめ記事です。当時の書き込み、当該集団による記述、言語学的な調査といった、説を支えるはずの一次資料に行き当たることはまれです。こういう構図のとき、説の数が多いことは信頼性の根拠になりません。同じ話が何度コピーされても、証拠は一つ分も増えないからです。むしろ、同じ話ばかりが並ぶことは、出どころが一つしかないことの現れだと読むほうが自然です。

っきりしているのは、次の二点です。ひとつ、この語は古語の時点から「けだかさ」と「価値の高さ」の両方を持っていた。ふたつ、2018年の時点で、辞書編集者が採録を検討する程度には広く使われていた。そのあいだがどうつながったのかは、いまのところ諸説の段階にあります。

お、ネット発祥の語の起源特定は、一般に非常に困難です。誰かが最初に使った瞬間の記録は残らず、残っていても検索で見つかる場所にはありません。「起源が特定できない」ことは、この語に限った不備ではないと考えられます。

なぜ「好き」ではなく「尊い」なのか

「好き」と「尊い」は、主語の位置が違います。「好き」は自分と対象を線で結ぶ言葉です。所有や接近の含みがあり、程度によっては相手に向かう欲望の表明になります。対して「尊い」は、拝む側の言葉です。神仏に「尊い」と言うとき、その人は神仏に近づこうとしているのではなく、距離があることを前提に、その距離ごと肯定しています。

■ 距離を保ったまま、最大限に肯定する

この語感は、いまの使われ方とよく噛み合います。作品や関係性に向かって「尊い」と言う人は、多くの場合、そこに立ち入らないことを選んでいます自分がその関係の一員になりたいわけではない。改変したいわけでも、代弁したいわけでもない。ただ、そこにそれが在ることが良い、と言っている。

もし「尊い」がなければ、その感情は「好き」と言うしかなく、「好き」は接近を含意してしまいます。接近を含意しない最上級の肯定必要だったとき、手元にあった語彙のなかで、宗教的な敬意の語が転用された──という筋道は、少なくとも語感の説明としては通ります。

「尊い」が指しているのは、多くの場合、関係性である

もう一歩だけ踏み込みます。「尊い」が向けられる先を見ていくと、個人よりも「二人のあいだ」に集中しているように見えます。

キャラクターAが格好いい、という感想は「格好いい」で足ります。ところが、AとBが並んでいる場面、片方がもう片方を見ている数秒、何も起きていないが確かに何かが通っている間──こうした名前のついていないもの対して、「尊い」は投げられます。

言い換えれば、この語は語彙の不足を埋めるために使われているとも考えられます。恋人でも家族でも友人でもない、既存のラベルに収まらない関係を見たとき、日本語には呼び名がありません。呼び名がないものを肯定するために、いちばん抽象度が高く、いちばん距離のある語が引き出される。「尊い」の一語性──説明を拒んで単独で置かれる性質──も、これで説明がつきます。説明を省いているのではなく、説明する語がないのかもしれません。

BLや百合といった領域が、しばしば「関係性の文化」と呼ばれるのは、この地点と地続きです。作品のジャンル名は入口の看板にすぎず、実際に人が見ているのは二人のあいだにある名前のない何かであることが多い。「尊い」という語が定着したこと自体が、その何かを言い表す必要が広く存在したことの、間接的な証拠だと考えることもできます。

言葉が分からないと、入れない

最後に、この記事を書いた理由を書いておきます。

「尊い」のような語は、意味を知らない人にとって入場ゲートのように機能します。感想欄を開いて「尊い」が並んでいると、そこで話されている内容の何割かは理解できても、その温度が分からない。分からないまま眺めていると、自分は場違いなのだという感覚だけが残ります。

それを「若者の言葉の乱れ」として片付ける言い方が、この種の語には必ず付いてきます。ただ、辞書を編む人たちは、そうは扱っていません。彼らは「尊い」に丁寧な語釈を与え、括弧まで使って、これが客観的評価ではなく主観の申告であることを書き分けました。言葉は、使われることで意味を得ます。辞書はそれを追認する側であって、裁く側ではありません。

そして、意味が分かったところで、感覚が分かるわけではありません。「尊い」の定義は読めば分かります。ただ、なぜ数秒の場面に対してその語が出てきてしまうのかは、定義からは出てきません。それは、実際にその数秒を見た人の側にしか起きないことです。

実際の同人作品を見てみる

ここまでは言葉の話でした。「尊い」と言われるような関係が実際にどう作品の形になっているかは、FANZA同人の人気順から確認できます。順位・評価はFANZAの実データで、随時更新されます。

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