※この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。18歳未満の方は読めません。
相沢麻衣が置いていったタッパーは、あの夜のうちに、藤宮悠(ふじみや ゆう)がきれいに洗った。けれど、それから何日も、行き場のないまま、台所の片隅に置かれたままになっていた。本来なら、洗って返すだけでなく、子どもも食べやすい、気の利いたお茶菓子でも添えて渡す――それが、ちょっとした礼儀というものだろう。だが悠は、それを、しなかった。返しにいけばいい。ただそれだけのことが、どうしてもできなかった。返すという口実をつくって、あの夜の続きを、自分の手で手繰り寄せてしまうこと。それが何を意味するのか、悠自身が、いちばんよく分かっていたからだ。
タッパーを返すだけ、のはずだった
きっかけは、向こうから来た。娘のひなを保育園に送った帰り、公園の脇で、ママ友の麻衣とばったり顔を合わせた。「そういえば、あのタッパー」と、彼女は何でもないことのように切り出した。「もしよかったら、今日、うちに届けに来てもらえない? ……うち、今日は誰もいなくて」。夫は相変わらずの出張。娘の遥は、また実家に預けているのだという。「お礼に、お茶でも出すから」。そう言って笑った麻衣の目の奥に、お茶とは違うものが、静かに揺れているのを、悠は見て取ってしまった。
郵便受けに入れておきます、とでも言えばよかった。妻の玲子も、今日は帰りが遅い。ひなが保育園から帰るまでの、がらんとした昼下がりが、悠の前にぽっかりと空いている。――だめだ、と頭のどこかが警告する。それでも悠は、自分でも意外なほど平坦な声で、こう答えていた。「……じゃあ、お昼過ぎに、寄らせてもらいます」。
誰もいない家の、昼下がり
麻衣の家のインターホンを押すと、ドアはすぐに開いた。出てきた彼女は、あの夜と同じ、ゆったりとしたルームウェア姿だった。けれど今日は、それが”部屋着”ではなく、悠に見せるために選ばれたものだと、ひと目で分かった。薄く色づいた唇。ほのかに漂う、甘い匂い。「わざわざ、ごめんね。上がって」。
洗って持ってきたタッパーを渡すと、麻衣はそれを受け取りもせず、ただ、悠の手ごと、両手で包んだ。「……律儀だなあ、悠くんは」。リビングに通され、出された紅茶に、悠はほとんど口をつけられなかった。二人のあいだの、たわいのない会話は、いくつもの沈黙で途切れた。その沈黙のたびに、麻衣との距離は、少しずつ、確実に、詰まっていった。
「この前はさ」。カップを置いて、麻衣が言った。声が、低く湿っていた。「途中で、終わっちゃったでしょ。……あれから、ずっと、考えてた。悠くんのこと」。彼女の手が、ソファの上の、悠の手に、そっと重ねられる。あの食事会の日と同じ、けれど今日は、もう、偶然を装う必要すらない、はっきりとした熱を持った手だった。「今日は、邪魔、入らないよ」。
戻れない、一線
どちらからともなく、ではなかった。顔を寄せてきたのは麻衣で、けれど、その唇を受け止めてしまったのは、紛れもなく悠の意志だった。紅茶の香りのする、深いくちづけ。舌が絡むと、麻衣の喉から、抑えた声が漏れた。悠の手は、もう自分の意志で、薄いルームウェアの上から、彼女の胸のふくらみを包んでいた。ノーブラのそれは、手のひらの中で、やわらかく形を変え、指先が頂きをかすめるたびに、麻衣の腰が小さく跳ねた。
「……脱がせて」。掠れた声で、麻衣がねだる。前ボタンを外していくと、たわわな乳房が、ふるりとこぼれ出た。あの夜、暗がりで触れただけのそれを、悠は今、昼の光の中で、はっきりと目にしていた。悠が乳首に口を寄せ、舌で転がすと、麻衣は「あっ……」と、堪えきれない声をあげ、悠の後頭部を、きつく抱き寄せた。
やがて麻衣の手が、悠のズボンの前をくつろげ、すでに痛いほど張りつめたものを、じかに握った。「……すごい。この前より、ずっと硬い」。彼女はソファに悠を座らせ、その足の間に、ゆっくりと膝をついた。上目遣いのまま、根元から先端まで、ねっとりと舌を這わせる。あの夜、途中で終わったフェラチオの続きを、彼女は今度こそ、たっぷりと時間をかけて味わった。じゅぷ、じゅぷ、と濡れた音が、静かな昼のリビングに響く。悠が達しそうになると、麻衣は寸前で口を離した。濡れた唇で、いたずらっぽく笑う。「……だめ。まだ、もったいないでしょ」。
今度は、悠の番だった。一方的に受けているだけなのが、どこか落ち着かなかった。悠は麻衣をソファに横たえると、ルームウェアの裾をたくし上げ、その脚のあいだに、顔を伏せた。下には、もう何も着けていない。フェラをしながら自分でも昂ぶっていたのか、そこは、すでにしとどに濡れていた。悠が舌を這わせると、麻衣は「あっ……! そこ、だめっ……」と、大きく腰を跳ねさせた。半年以上、誰にも触れられていなかった体は、驚くほど素直で、悠が舌先で敏感な芽を転がすたびに、白い内ももが、びくびくと震える。「い、いっちゃう……悠くん、そんなにされたら、わたし……っ」。彼女が高みに達しかけた、そのとき、麻衣のほうが、悠の頭を、両手で引き上げた。「……もう、我慢できない。……来て。悠くんを、ちょうだい」。
妻ではない、その奥で
ソファに背を預け、自ら大きく膝を開いた麻衣に、悠は、自分をあてがった。「あっ……あぁっ」。ゆっくりと沈めていくと、麻衣は背をのけぞらせ、長い声をあげた。十分すぎるほど濡れていたのに、半年以上、夫に触れられていないその体は、悠を、痛いほどきつく締めつける。妻ではない女の、その熱と締めつけに、悠の頭の芯が、しびれるように白く濁っていった。
最初はためらいがちだった悠の動きは、麻衣の「もっと」という声に煽られて、次第に激しさを増していった。突き上げるたびに、麻衣の乳房が揺れ、二人の肌のぶつかる音と、彼女の嬌声が、昼の部屋を満たしていく。他人の妻を、その夫と暮らす家で、抱いている――その背徳が、罪悪感ごと、悠の快感を、異常なほど押し上げていた。「いい……悠くん、上手……こんなの、久しぶり……っ」。麻衣が、悠の背に爪を立てる。
限界が、近づいていた。「……もう、出そうです」。悠が絞り出すように言った、その瞬間だった。ふいに、恐怖にも似た冷静さが、頭の隅をよぎる。――中は、まずい。悠はとっさに腰を引き、せめて彼女の外へ、腹の上へと、抜こうとした。
だが、麻衣は、それを許さなかった。汗ばんだ両脚を、悠の腰にしっかりと絡め、逃がすまいと、ぐっと、力いっぱい自分のほうへ引き寄せる。逃げ場を失った悠は、抗う間もなく、麻衣のいちばん奥で、長く、深く、果ててしまった。麻衣もまた、悠にきつくしがみつきながら、びくびくと体を震わせて、達していた。
熱いものを最奥で受け止めた麻衣が、汗に濡れた顔で、満ち足りたように、くすりと笑った。「……中に、出しちゃったね。悪い子。……えっちだね、悠くん♪」。その、とろけるような笑みに、悠は、返す言葉も、なかった。
果てたあとに、浮かんだ顔
荒い息だけが、静かな昼のリビングに残された。汗ばんだ体を重ねたまま、悠は、天井を見上げていた。麻衣の満ち足りた寝息を、耳もとに聞きながら。――やってしまった。あの夜の”未遂”とは、もう、まるで意味が違う。妻がいる。ひなもいる。それなのに、自分は、越えてはいけない一線を、完全に、越えてしまった。押し寄せてくる罪悪感は、確かに、あった。
けれど。その、体が満たされて、心にぽっかりと穴が空いたような奇妙な時間に、悠の頭に、ふいに浮かんできた顔があった。妻の玲子でも、腕の中の麻衣でも、なかった。――あの、古書店の。メガネの奥の、少し色の薄い、儚げな瞳。栞の顔だった。なぜ、今、彼女なのか。悠には、まるで、分からなかった。分からないまま、その面影は、罪悪感よりもずっと、静かに、悠の胸を締めつけた。
(第5話へ続く)
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