成人向けデジタル同人との付き合い方は、大きく二つに分かれます。出たものを出た順に追いかけるか、過去に積み上がったものを掘り返すか。どちらが正しいという話ではありませんが、両者は見えるものがまるで違います。そして「サークル(作り手)を単位に同人を読む」という立場を取ったとき、旧作の意味は作品単位で見ていたときとは別物に変わります。この記事では、その変わり方を構造として書きます。
なお、本記事では実在のサークル名・作品名は挙げません。特定の作り手を例に取らなくても成り立つ話だけを扱います。
新作追随型という買い方が、なぜ主流になるのか
新着を見て、気になったものを買う。おそらく最も多い買い方であり、そうなるだけの理由があります。
第一に、新作は探さなくても向こうから来るという点です。販売サイトの新着一覧、ランキング、作り手や読者のSNS投稿。これらはすべて「今出たもの」を運ぶ導管として働きます。旧作を掘るには意志が要りますが、新作は受け身でも視界に入ります。この非対称は、買い手の努力量の差というより、流通の設計そのものに由来します。
第二に、新作には同時性という付加価値があることです。同じ時期に同じものを読んでいる人が他にもいる、という状態は、作品そのものとは別の体験を生みます。感想が流れてくる、話題が共有される、作り手の反応がリアルタイムで見える。半年後に同じ作品を読んでも、この層は手に入りません。
第三に、新作は情報の鮮度が高い。作り手の現在の技量、現在の関心、現在の作風が、そのまま出ています。サークルを追う立場から見れば、新作は「最新の観測データ」です。
■ 新作追随型の限界
限界は明快で、新作は選べないことです。追随型の買い手が向き合っているのは「今週出たものの中で何が良いか」という問いであり、これは「同人全体の中で何が良いか」とは別の問いです。母集団が時間で切られている以上、その中の最良は全体の最良ではありません。
もう一つは、失敗の確率が構造的に高いことです。新作には、まだ読者の反応が蓄積していません。評価が定まる前に買うということは、評価という判断材料を捨てて買うということです。追随型はその不確実性を引き受ける買い方であり、それが好きな人にとってはむしろ醍醐味ですが、コストであることは変わりません。
発掘型が有利になる条件
もう一方の型、過去に積み上がったものを掘る買い方は、新作追随型の限界をそのまま裏返した利点を持ちます。
最大の利点は母集団の広さです。今週出た数十点から選ぶのと、これまでに出た全部から選ぶのとでは、単純に選択肢の桁が違います。ロングテールという概念で言われてきたことも、基本はこれと同じ構造です。ロングテールはクリス・アンダーソンが2004年10月にWired誌で提唱した考え方で(2006年7月に単行本化されています)、販売機会の少ない商品まで幅広く揃えることで、総体としての売上を大きくできる、というものでした。従来の店舗は商品棚の容量や物流の制限から売れ筋を中心に置かざるを得なかったのに対し、オンラインでは年に1個しか売れない商品まで置ける、という説明がなされています。
買い手の側から同じ構造を見れば、こうなります。棚に限りがないということは、過去が消えないということ。掘れば出てくる状態が維持されている、という前提そのものが、発掘型を成立させています。
第二の利点は判断材料が揃っていることです。時間が経った作品には、評価も感想も、その後のサークルの動きも付随しています。新作を買うときには存在しなかった情報が、旧作にはあります。外れを引く確率という一点だけを見れば、発掘型のほうが有利になりやすいと考えられます。
■ 発掘型の限界
限界は三つあります。
一つ目は探索コスト。母集団が広いということは、絞る作業が発生するということでもあります。新着一覧は勝手に絞ってくれますが、過去全体は絞ってくれません。掘るには基準が要り、基準がないまま掘ると、量に溺れます。
二つ目は評価の偏り。旧作に付いている評価は、生き残った作品に集中しがちです。当時それなりに売れたものは今も見つけやすく、当時埋もれたものは今も埋もれたままです。「掘った結果として上がってくるもの」は、実は誰かが既に掘り出したものであることが多い。発掘型は、自分が発掘していると思いながら、他人の発掘結果を追体験していることがあります。
三つ目は同時性の不在。これは新作追随型の第二の利点の裏返しで、埋め合わせが効きません。
「旧作は消えない」は、どこまで本当か
発掘型は「過去が残っている」ことを前提にしています。この前提は、どの程度確かなのでしょうか。
デジタル同人という流通形態について、公開されている説明では、作り手・売り手の側は在庫を持つ必要がなく、ひとつのコンテンツを長期にわたって販売し続けられることがメリットとして挙げられています。紙の同人誌のように刷った分が尽きて終わり、という物理的な終わりが存在しません。
ただし、物理的に絶版にならないことと、いつまでも買えることは同じではありません。デジタル同人が消えるとしたら、それは在庫が尽きるからではなく、誰かが取り下げるからです。作り手が販売を停止する、権利上の事情で扱えなくなる、プラットフォーム側の判断が変わる。いずれも物理法則ではなく判断の問題であり、判断は覆ります。
■ 購入済みの旧作は、どう扱われるのか
あるダウンロード販売サイトの案内では、2016年8月1日以降、2016年以降に販売が終了した作品について、購入したユーザーが無期限でダウンロードできるよう変更された旨が説明されています。買った後に販売終了しても手元から消えない、という設計です。
ただし同じ案内には、「サークル様からお申し出のあった作品を除く」という例外が明記されています。ここが重要です。作り手が申し出れば、購入済みの作品であっても、この無期限ダウンロードの対象から外れうる。つまりデジタル同人において、旧作の存続は最終的にサークルの意思に接続しています。
なお、これは特定の一サイトの運用であり、他のサイトにも同じ規定があるとは限りません。案内が対象としているのも、2016年以降に販売が終了した作品です。買い手の側から言えば、手元に残るかどうかは「デジタルだから」で決まっているのではなく、どのサイトでいつ買ったかに左右される、ということになります。「デジタルだから永久に残る」は、少なくとも無条件には成り立たない、という程度に留めておくのが正確だと考えます。
作品軸で掘る旧作と、サークル軸で掘る旧作は別物
ここからが本題です。「旧作を掘る」と一口に言いますが、掘る動機によって、掘り出したものの意味は変わります。
作品軸で掘るとき、旧作は在庫です。まだ読んでいない良いものが、過去のどこかに眠っている。それを見つけて消費する。掘る目的は、未読の良品の発見であり、掘り終えれば終わります。この見方では、旧作は「新作の代わりに読むもの」であり、価値の基準は新作とまったく同じ——面白いかどうか、です。
サークル軸で掘るとき、旧作は記録になります。あるサークルの三年前の作品を読むのは、三年前の作品が面白いからだけではありません。三年前にこの作り手が何をしていたかを知るためです。今の作風がどこから来たのか、何を捨てて何を残したのか、どこで手つきが変わったのか。これらは最新作だけを見ても絶対に分かりません。変化は、二点以上を比べたときにしか観測できないからです。
■ 単体では平凡でも、系列に置くと情報量が跳ね上がる
作品軸で見れば「普通」としか言いようのない旧作が、サークル軸に置いた途端に意味を持つことがあります。たとえば、今は緻密な構成で知られる作り手の初期作が、荒削りで短かったとします。作品としての評価は高くないかもしれません。しかしそれは、この作り手が構成を後天的に獲得したことの証拠になります。最初から上手かったのか、途中で変わったのか。この違いは、その作り手の次作を予測するときに効いてきます。
逆に、初期からほとんど作風が動いていないサークルもあります。これも観測すれば分かる情報で、そういうサークルの新作は、次に何が来るか読みやすい。旧作は、その読みやすさを裏付ける材料です。
つまりサークル軸において、旧作は消費されて終わるものではなく、新作を読むための座標として機能し続けます。同じファイルを、まったく違う用途で使っているわけです。
サークル軸だと、旧作が「増える」
作品軸の発掘には、避けられない性質があります。掘れば掘るほど、未読の在庫は減っていきます。有限のプールから引き出す行為だからです。
サークル軸だと、この収支が逆転します。新しいサークルを一つ見つけるたびに、掘るべき旧作がまとめて生まれるからです。新作を一本読んで良かったとします。作品軸なら、体験はそこで完結します。サークル軸なら、そこから過去に遡る道が開きます。そして遡った先で作風の変化が見えたなら、今度はその変化の理由を知るために、また別の旧作を読むことになります。
これは効率の話ではなく、探索の構造が違うという話です。作品軸の発掘は広大な平面を虱潰しに歩く作業ですが、サークル軸の発掘は木を辿る作業に近い。一つの節に行き着けば、そこにぶら下がっている枝はまとめて手に入ります。掘る基準を持たないまま量に溺れる、という発掘型の弱点に対して、サークルという単位は、そのまま基準として使えます。
■ 「消えるかもしれない」という条件も、サークル軸では意味が変わる
前述の通り、旧作の存続はサークルの意思に接続しています。作品軸で見ると、これは単なるリスク——買えなくなるかもしれない、という不都合です。
サークル軸で見ると、取り下げそのものが観測対象になります。作り手が過去作を引っ込めるという行為には、たいてい理由があります。作風を変えた、権利関係の判断が変わった、あるいは単に今の自分の水準に合わないと考えた。何がどう引っ込められたかは、その作り手が自分の何を「今の自分ではない」と考えているかの手がかりです。もっとも、ここは推測の領域です。取り下げの理由が公表されることは多くなく、外から読み取れるのは「何を引っ込めたか」という輪郭までです。そこから先の動機は、読み手が足したものになります。手がかりとして扱うぶんには有効ですが、結論として扱うと足をすくわれる、くらいの距離感が妥当だと考えます。
二つの型は、対立していない
ここまで新作追随型と発掘型を対比してきましたが、この二分法は本記事の整理であって、実際の買い手がどちらか一方であるわけではありません。そして、サークルを単位に置くと、両者はそもそも対立しなくなります。
| 観点 |
作品軸 |
サークル軸 |
| 新作の意味 |
今週の候補の一つ |
最新の観測データ |
| 旧作の意味 |
未読の在庫 |
変化を測るための座標 |
| 掘るほど |
在庫が減る |
辿る先が増える |
| 探索の基準 |
自分で用意する必要がある |
サークルがそのまま基準になる |
| 取り下げ |
買えなくなるリスク |
観測対象(ただし理由は推測に留まる) |
作品軸では、新作を追う時間と旧作を掘る時間は取り合いになります。可処分時間は有限で、どちらかに使えばどちらかが減る。だから「新作を追うか、旧作を掘るか」という問いが成立します。
サークル軸では、この問いが解けます。新作は旧作の続きであり、旧作は新作の前提だからです。あるサークルの新作を読むことは、そのサークルの旧作の価値を更新する行為でもあります。三年前の作品の意味は、今週出た作品を読んだあとで変わることがある。時間の向きが一方通行ではなくなる、と言い換えてもいいかもしれません。
■ どちらから入っても構わない
実務的には、入り口はどちらでも問題ありません。新作で当たりを引いたら、その作り手の過去に遡る。過去を掘っていて良い作り手を見つけたら、以後の新作を追う。どちらの経路も、同じ場所——サークルという単位——に着きます。
むしろ避けたいのは、どちらの型でも作品名しか残らない読み方です。良かった作品のタイトルだけが記憶に残り、誰が作ったかを覚えていない状態。この状態では、新作を追っても旧作を掘っても、体験は毎回リセットされます。次に何を読むかを決める材料が、いつまでも蓄積しません。
新作か旧作か、という問いの立て方
ここまでの見方を、実際の買い方に落としておきます。
新作を追っている人が旧作に手を伸ばすとき、動機は「まだ読んでいないから」になりがちです。これを「この作り手の変化を見たいから」に置き換えるだけで、掘る対象は自動的に絞られます。全部を読む必要はなく、初期・中期・直近を一本ずつ取れば、線はだいたい引けるはずです。二点で変化の有無が分かり、三点目でその向きが見えてくる、という程度の話です。
発掘型の人が新作に手を伸ばすときも同じです。掘って良かった作り手の最新作は、単なる新作ではなく、自分が引いた線の答え合わせになります。予想が外れたなら、それは損ではなく、その作り手について持っていた見立てが更新されたということです。作品軸なら「外れを引いた」で終わる体験が、サークル軸では情報に変わります。
なお、新作追随型と発掘型という二分法は、一般に確立した用語ではなく、この記事の整理にすぎません。実際の買い手はもっと雑に、そのとき目についたものを買っています。それでもこの二つを両端に置いてみると、自分がどちら寄りで、何を取りこぼしているかの見当はつきます。同意しない読み方も当然ありえます。
新作か旧作かという問いは、作品を単位に置いているから発生する問いです。単位をサークルに移せば、両方が同じ観測の一部になります。この記事が言いたかったのは、それだけです。